会誌「電力土木」

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電力土木回想

水力計画屋としての経験

衣非安章

元 九州電力(株) 土木部長

【 はじめに 】

 自民党から民主党へ政権交代のスタートとなる鳩山内閣では,「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズでダムの事業仕分けなど,土木屋としては少々居心地の悪い 8 ヶ月でした。続く菅内閣では,大震災後,相次ぐ原子力発電所の停止により電力需給が逼迫し,毎日の電気予報に左右される節電状態が続くなか,退陣の 3 条件のひとつである「再生可能エネルギー法」が平成23年 8 月に国会で成立して,民主党政権として 3 代目の野田内閣が誕生すると言う,目まぐるしい平成23年の夏となりました。
  そしてこの夏の 7 月には,私が九電在職中に水力計画屋として地点決定に大きく係った小丸川揚水発電所の全号機(出力120万 kW:30万 kW×4 台)が運転開始となり,丁度この時期に原稿執筆の依頼を頂きましたのも,なにかのご縁のような気がします。
  大型貯水池式水力開発時代が終わった昭和43年 4 月に九州電力に入社し,平成15年 6 月に退職するまでの約35年間は,揚水開発のラッシュや,第一次・第二次のオイルショック,電力需要低迷期,平成の需要回復期など,水力土木屋不要論や逆に水力開発促進など,苦しい時と前進時期とが交互した変化の激しい時代でもありました。
  震災後,エネルギー問題が大変化を迎えるなか,私の「水力計画屋」としての経験を伝えることが,これからの若い電力土木技術者にとって参考になれば幸いと思っています。

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