会誌「電力土木」

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巻頭言 (平成24年 1月号)

音楽・音づくり・ものづくり

 

本部和彦

大成建設(株) 執行役員

 1. 音楽 中 2 の夏「サウンド・オブ・ミュージック」がきっかけで洋楽に目覚めた。これで洋楽と画像は一体となり,「ウェスト・サイド・ストーリー」からビートルズを経て,サイモンとガーファンクルの曲が流れる高校時代の「卒業」へと続いた。
  本格的に聴いたのは大学時代。1970年に入学した京大では,大学紛争のあおりで 3 年間も授業らしいものがなかった。その代わりに深夜まで聞いたのがラジオ。しかも70年代は,吉田卓郎,井上陽水,荒井由美などニュー・ミュージックの旗手達が続々と名乗りを上げた時代であり,洋楽も邦楽も楽しめた。AM のオールナイト・ニッポン,「ミスターロンリー」をバックに城達也の「遠い地平線が消え…」の名ナレーションで始まる FM のジェット・ストリームなど今でも忘れられない。
  忘れられないコンサートも多い。カーペンターズ,カレン・カーペンターの「涙の乗車券」,赤い鳥,新井潤子の「翼を下さい」など学生時代の思い出はどちらかと言えば女性ボーカル。1990年にはビートルズ解散後初めて来日したポール・マッカートニーとウイングスの武道館公演で,生音で聴けるとは思ってもいなかった「Yesterday」が流れてきた時には思わず涙があふれた。最近の思い出は,2009年サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」,2010年キャロル・キングとジェームス・テーラーによる「You've Got a Friend」,2011年イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」である。レコード上の憧れに過ぎなかった多くの曲を国内のコンサートで聴くことが出来た。

 2. 音づくり 70年代はオーディオ黄金時代の幕開けでもあった。オーディオ誌が巷にあふれ,家電メーカーも音響事業に力を入れていた。先輩に連れて行かれたビートルズ喫茶では,組格子の美しいブックシェルフ・スピーカーから「アビーロード」B 面冒頭の「ヒア・カムズ・ザ・サン」が流れていた。それがマニア憧れの JBL LE8-T を組み込んだものと知ったのは,しばらくたってからだ。JAZZ 喫茶にはもっと巨大な組格子スピーカー JBL オリンパスがあった。こいつで聴いた「サキソフォン・コロッサス」では,ソニー・ロリンズがテナー・サックスごとスピーカーから飛び出してきた。
  こうしてオーディオの道へ踏み入ったのだが,学生の身分,くだんの先輩からもらったスピーカーと,やっとの思いで購入したラックスマンのアンプで我がオーディオ人生はスタートした。
  オーディオ熱が再発したのは,東北経済産業局長時代。2003年秋に JAZZ オーディオ・マニア憧れの岩手県一関市の JAZZ 喫茶「ベイシー」を尋ねた。そして再びぶっ飛んだ。JAZZ ピアノの最高峰ビル・エバンス・トリオの「ワルツ・フォー・デビー」だったと思うが,菅原店主がレコードに針を下ろした瞬間,聴こえてきたのは客のざわめき,グラスの触れ合う音,時空を超えて60年代の NY ジャズクラブ Village Vanguard がそこに出現したからだ。この時代の録音は凄い。ちなみに,この録音には例えば 1 トラックの 1:00〜1:04 に地下鉄の音が録音されていて**,これが聴こえるかどうかでシステムのグレードが判断できるとされている。
  菅原さんが如何にこの音を作り上げられたかは著書「ぼくとジムランの酒とバラの日々(駒草出版)」に詳しいが,ビンテージに属する JBL のスピーカー,初期型のトランジスターアンプ,シュアーの MM カートリッジにレコードという組み合わせでこの音を作られているのは驚きである。サンプリング周波数 44.1 kHz, 16 bit からスタートし,96 kHz, 24 bit やこれを上回る高音質データ音源も広まりつつあるデジタル音源だが,現時点では,最高のデジタル音源はまだ最高にチューニングされた LP レコードに勝てないというのが通説であろう。むしろ,利便性が優先され原音をそぎ落とした圧縮音源が広まっているのは残念でならない。

 3. ものづくり 学生時代から30代にかけては懐に余裕がなかったこともあり,自作の道を模索した。ここに二人の巨匠がいる。スピーカーの長岡鉄夫氏とアンプの金田明彦氏だ。オーディオ評論家としても名高い長岡氏は亡くなるまで様々なスピーカーの製作を続けた世界一のスピーカー・ビルダー,秋田大学教官であった金田氏は,DC アンプの製作記事を76年から今なお「無線と実験」誌上に発表し続けているイノベーターだ。継続は力なりを実証している偉人達である。自分も,長岡式「スワン」を二組と金田式乾電池電源 DC アンプを製作して愛用した。
  しかしこれも仙台時代に転換点を迎えた。仙台いろは横丁の定食屋のご主人の影響を受けて真空管アンプ作りに参入したことだ。真空管の最高峰は米国 Western Electric 社製と言われる。名三極管 WE300B アンプ作りを目論んだが,仙台クラスの地方中核都市でも部品集めは困難だった。そんな時に出会ったのが,高性能な真空管アンプ・キットを合理的な価格で提供するベンチャー企業 SUNVALLEY のオーディオ部門ザ・キット屋(http://www.kit-ya.jp/)。オーディオもベンチャー時代の到来だと感じた。
  こうして,真空管パワーアンプを 4 台,プリアンプを 2 台製作。そのうち 1 台は秋保温泉のコーヒーハウスで毎晩オールディーズを奏でているし,我が家は念願かなってプリからパワーアンプまでオール WE 製の真空管アンプとなった。真空管から流れる音は厚くて熱い。

 4. そして 自作をしてみると,日本の優れたモノづくり中小企業が如何に淘汰され,これに呼応するように中国企業が力をつけているかがわかる。新幹線追突事故も中国の姿だが,もはや日本では製造できない製品や部品を作れる企業が育っているのも中国の姿なのだ。しかも,その中には,ベンチャー精神があり,優れた経営戦略を持ち,物作りを愛し,世界に目を向けた企業が生まれつつある。
  電気・電子技術から土木・建築技術分野に目を向けると,4000 m を超える高度と厳しい気候を克服し,わずか 4 年で 1142 km のチベット鉄道を建設できるのが中国の姿である。中国は,まず国内で「早く・安く・ほどほどの品質」というビジネスモデルを確立して世界を目指しているように見える。2000年代の初頭,同志社大学フェロー湯之上隆氏は,過剰技術,過剰品質の罠に陥り,国際ビジネスでは通用しなくなった日本の半導体産業に対して,これをイノベーションのジレンマとして厳しく指摘した。日本語の壁に守られた国内市場や ODA の枠内で内輪の競争をしているうちに,土木・建築業界がイノベーションのジレンマに陥ってはならない。国際ビジネスでも立派に通用する日本の土木・建築産業であって欲しい。技術陳腐化のスピードは驚くほど速い。

**地下鉄のゴーッという音ではなく,地下鉄が付近を通過する空気感のようなもの

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