中村進
四国電力(株) 常務取締役 火力本部長(前 取締役 土木建築部担任)会員
東北地方太平洋沖地震で被災された皆様に,心からお見舞い申し上げ,一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。
―出会い―
高松のアーケードの長さは日本一と聞いた。晴天の多い土地で?と思ったが,その中心が丸亀町商店街。全国に先駆けて人口減と高齢化が進み,地域経済の厳しさも色濃い四国高松で,会社に近く,日々利用する商店街。昨年末,その中心ドームの下で“第九”を唱う機会を得た。街の通りがかりの側から一時プレーヤー側の一人になった。今年 4 月にはドームの南側にアーケードが延長設置された。通行人としても心惹かれる変化。新しいアーケード空間は天高く道幅も広く開放的で明るい。歩みも自然と遅くなり,視線も動線も両側の再開発ビルに誘われる。商店街での人々の流れに,川の流れを感じる時がある。幅が広がった所では流速が遅くなり,水粒子もゆらいだり渦巻いたりしながらしばし遅瀬に立ち寄っていく。 興味を持つようになり,丸亀町再開発の経緯を調べてみると,見事に理念を創り,実現のために様々な手立てを講じてきた歩みが見えてきた。
―丸亀町と衰退の兆し―
かつては物流が船中心であったからか,香川県域への大型店の出店は他地域に比べ遅かったが,昭和50年代後半頃からの車社会化で郊外型大型店舗の進出が始まり,昭和63年の瀬戸大橋開通以降は出店が相次ぎ,現在では人口当たりの大型店売り場面積は全国一・二となっている。 丸亀町商店街は,高松市の中心商業地区の北の端,南北 470 m の商店街。その名称は,江戸時代初期に丸亀市から商人衆が移り住んで作ったことに由来し,爾来高松の商店街をリードしてきた。 未だバブル期の昭和63年当時,商店街の通行量に既に減少の兆しがあった。それまでも個店のリニューアルや,先進的なアーケードの建替,カラー舗装,駐車場の増設に取組んできたが,回遊しながらゆっくり時間を過ごせる大型ショッピングセンターの快適さや魅力に勝てないのでは,との危機感が出始めた。大規模店舗の立地規制をとの声もあった。しかし調査結果によれば消費者は郊外の大型店を支持していた。規制しても,消費者に支持される商店街にならなければ中心部の再生はない,との認識が次第に共有された。その後も,衰退が徐々に進んでいった。商圏は縮小,売上高は減少し,地価高騰で商店主の転出は住民減となり,同時に八百屋・魚屋・日用雑貨店が次々廃業し,洋服店ばかり目立つようになり,駐車場代も高騰した。不動産賃貸業者となった旧商店主は,街の発展に興味を示さなくなり,建物を汚すような業種には貸したがらない傾向も業種の偏りに拍車をかけた。 地価の高値安定によってもたらされる問題に対応し,居住人口の減少に歯止めをかけ,定住人口の確保を図り,不動産賃貸業としての商店主の増加に対応することが課題と整理された。
―将来像―
次に,地権者や出店主等多様な関係者を巻き込んで,町の将来像作りが行われた。その際,大規模な建物中心の再開発ではなく,多くの建物が協調しあって出来る街づくりをするためデザインコードを作ることも確認された。町全体の基本コンセプトは,「出会い」「賑わい」「おもてなし」。『現実に人の住む町に戻すこと。シャッター通りになることを阻止し,一部でもゴーストタウン化することを拒否する。そのためには,実際に24時間住んでいる人達が商店街で基本的な買い物やサービスを済ませられるようテナントミックスを行ない,公共・医療福祉サービス等日常的機能の整備を行う。同時に,中心地域として,人の集まる賑わいを創出できる場を提供する。』この基本理念の下,各街区の再開発方針が作られた。商店街の玄関的位置にあって最初に再開発が進められた A 街区では,『全体として,お洒落なヨーロッパの街のような雰囲気とし,店舗併用住戸があり,住民が生活を楽しむと共に,旧き良き商店街の持つ「顔の見えるつながり」も大切にする。個性豊かな専門店を配し,買い物以外にも人々が集まり行き交う魅力的な場を提供する。』とされた。 まちづくりは,時代の変化に合わせ,住民となった人々の意見も入れつつ,今なお進化している。日本の北京とも呼ばれる自転車活躍都市高松にあって,先進的な地下式自動駐輪機が整備された。アーケードの中を自転車に乗って走行できるのは,この町の特徴であろう。歩行者の私には危険で手強い相手だが。 住民や近在に多い高齢者のため,商店街の中に「憩えるクリニック」を開設し,地元出身のシニアの医者が招致された。大病院の誘致はせず,高齢層の住民に相応しい家庭内科的医者を配したそうだ。高齢化率が各地に先駆けて高い町で,便利な所に住むお年寄り中心のまちづくりは,高齢化社会の先進事例である。 地域食材利用に積極的なレストランの導入による食文化の発信や,若手起業家の育成や地域製造事業者と連携したチャレンジショップなど,香川・四国の発展を睨んだ取組みも行われている。
―新機軸―
丸亀町では,新たに工夫された理念の実現システムがもう一つの推進力となっている。第一に,権利が複雑に絡み非居住者化しつつあった都市中心部の土地所有と利用の問題を,定期借地権方式により“土地・建物の所有権と使用権を分離”したこと。第二に,地元住民中心で行政の力も活かし商店街全体を一括運営する「まちづくり会社」中心の“タウンマネジメント”を取り入れたこと。具体的には,(1)地権者の全員同意による「定期借地権」の導入,(2)出店者による「共同出資会社」の設立,(3)第三セクターである「まちづくり会社」による受託運営,(4)転出者の土地取得のための証券化スキームの導入などが鍵である。 従来の再開発では,土地に係る権利は土地・建物の区分所有に権利変換することや,土地所有者が店舗を営まなくなった場合,土地所有者は賃貸人,出店主は賃借人となることが一般的であった。丸亀町では,土地所有権を地権者がそのまま保持し,そこに施設建設のための定期借地権を設定して貸し出し,再開発して出来たビルの床をまちづくり会社が一括運営することとした。地権者の合意を適時に得ることが難しかった再開発で,全国で初めて「所有権と使用権を分離」し,スムーズなまちづくりに繋げて行った。 同時に,土地代は初期費用として事業費に顕在化しなくなった。併せて定期借地に係る権利金を設定しないこととしたため,事業費が圧縮され,安価な賃料でテナントを集め易い環境が出来た。地権者が共有形態で店舗を取得することとしたため,店舗保留床の取得も共同となり,地権者のリスクが低くなり事業に参加しやすくなった。テナントも,土地・建物の所有者が替わらず,事業が安定的に営め,諸調整の労力からも開放された。 もう一つ,“タウンマネジメント”についてみよう。その中心は,丸亀町各街区の地権者・出店者・コミュニティ投資会社などが出資した第三セクターの「高松丸亀町まちづくり会社(まちづくり会社)」である。まちづくり会社は,自治体の出資比率を 5%に抑え,初期コストについて行政の一部支援を受けるとしても,運営費用はあくまで自主財源で賄うこととした。また,純民間の企業デベロッパーとは異なり,運営収益を地元に還元・再投資することとした。 また,「オーナー変動地代家賃制」をとり,所有者に支払う地代が売上により変動する契約とした。テナントと共に土地・建物所有者も応分のリスクを負うこととなった。常に一定の借地料を得る地主とは異なり,旧商店主にとって商店街の発展が他人事ではなくなった。共同出資会社から商業床を取得し定期借地契約を結んだテナントもまた共同出資会社に出資することとし,彼らもまちづくりに参加することとなった。 各街区の地権者の出資によるコミュニティ投資会社もユニークな役割を果たしている。転出者の権利を取得し,町内の空き地・空き建物も取得する。取得されたこれらの権利は信託銀行に預託され,信託銀行はそれらをまちづくり会社に委託する。これにより,地権者の転出によるシャッター街やゴーストタウン化の芽は摘み取られる。 このように,まちづくり会社を中心に,様々に工夫された手法が編み出され,再開発が進められている。
―おわりに―
実に息の長いプロジェクトである。事業開始から 20 年以上,そしてなおかつ進行中。要している長い期間は,多大な労力と中断のリスクを意味する。この間,財政難から来る公的セクターの諸支援策の変更が,事業計画の変更に及ぶことも幾度かあったろう。景気変動も試練であったろう。その中で事業が継続され今日に至ったことに敬意を表すると共に,大きな意義を感じる。今我々がいる低成長,人口減,高齢化時代は,旧来の発展モデルから見ると制約要因。高度成長期なら一挙に広範囲の再開発に投資出来,当座商店街も集客力を高め栄える。しかし,一挙にした投資はほぼ同時期に古びてしまう。時間をかけて逐次に再開発を行うのも,一つの見識ではないだろうか。 今各地でコンパクトシティを目指す動きが進む。中心商店街の再開発,限界集落に住む高齢者の医療・福祉問題,買い物難民の改善も含め,中心部に住居を集め,行政サービスの効率化・コスト削減をも目論む。丸亀町はコンパクトシティの先駆けでもある。 東日本の未曽有の広い地域の被災地の震災復興においては,各地域の特性を生かしつつ復興後のグランドデザインを描き,速やかに実行することが求められている。復旧・復興・定住の全過程で,公的セクターと共に,住民が適切な役割を担うために,「まち/むらづくり復興会社」は有効なアイデアかも知れない。所有権と使用権の分離は,震災復興においても活用し得るであろう。息長く幅広い権利形態の関係者が主体的に参画できる形で事業を実現可能としてきた丸亀町の手法が,直接的でなくても,何らかの参考となるのではないかと思う。